私が世界の物語を朗読する理由

ウクライナは民話の宝庫。日本ととても似ています。お話の内容は似ているものもあれば「へ〜、こんなめでたしめでたし!?」とびっくりするものも。ウクライナだけではありません。デンマークのアンデルセン、ドイツではグリム兄弟が民話を編纂、中国にも、インドにも、ナイジェリアにも、韓国にも、アメリカにも、ロシアにも、世界中どこにも、その地域に伝わる民話はあるし、童話や、物語は、今も読み継がれている名作です。

物語は、知らない国や知らない人たちの心に連れて行ってくれます。私達は、物語に入り込んだとたん、古代にも、中世にも、江戸時代にも、ナイル川のほとりにも、大西洋の大海原にも、嵐のヨークシャーにも、極寒の森にも、どこにだって飛んでいけます。

子どもの頃読んで心に残っているお話、おかあさんに読んでもらった童話、それらは、大人になった私達の心に灯されたあたたかなランプのように、冷え切った心や憎しみも和らげてくれる。それは、自分の生まれ育った国のお話だけではありません。行ったことのない国のお話、おとなりの国のお話、違う宗教のお話。

人間は、自分の知らないことや、初めてのこと、見たことないこと、価値観のちがうこと、に不安を感じたり、恐れを感じます。恐れを感じるから、虚勢をはったり、バリケードをはったり、消滅させたり、服従させたりしてしまう。繰り返し行われてきた人間の歴史は、戦いと侵攻で形成されているまぎれもない悲しい事実。今、この瞬間も。

私達人間は、言葉があるから、伝えあうことができます。いじわるしない、けんかしない、けんかしたら、なかかおりする。それは、子どもの頃、親や、先生、大人たちから教えられたきたこと。そして、大人になった私達は、子どもにそれを教えてる。でも、残念ながら、今ウクライナで繰り広げられているロシアによる侵攻は、言葉ではなく、武力で物事を成し遂げようとする、人間として恥ずべき愚かしいこと。

私達人間には、言葉があり文字があります。叡智があります。話し合うことができるはずだし知恵を絞ることができるはずなんです。命は自然に全うされるものであり、他者によって奪われるものであってはなりません。地球の命から比べたら人間の寿命なんてたかだかのもの。それを奪い合うことのなんと意味のないことか。

相容れないものを排除するのではなく、理解する。尊重する。

私は、世界の民話を、童話を、物語を、朗読します。

地球上のすべてのひとの心に、灯りをともすために。

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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