いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ ありけり
光源氏の母桐壺は、帝に溺愛されるあまり、あまたの女性たちの羨み妬みを一身に受け、命を落としました。
桐壺帝は、愛したがゆえ、最愛のひとをなくしたのです。
源氏物語の冒頭の一節。このモデルとなったといわれているのが、政権争いの渦に巻き込まれ翻弄されながら愛を貫き命を落としていった一条天皇と藤原定子。権力の掌握のために我が子彰子を一条天皇に入内させ定子に執拗な嫌がらせをし続けた藤原道長。
その渦中のまっただ中、明るく才気溢れるサロンの気風を失わなかった定子。その定子に最後まで仕え、才を発揮していたのが清少納言です。
清少納言は、すべてを見、すべてを知っていました。枕草子には、その日常のできごとが華やかで明るく楽しく描かれています。それは、ほんとうのこと。でも、清少納言は、すべてを書かなかったのです。
定子亡き後の清少納言は定子の葬られた鳥野辺のあたりで過ごしたともいわれていますが、つまびらかになっていません。
車折神社に清少納言を祀る社があります。
そこを訪れてみました。
枕草子のからっとした明るさの根底に、清少納言の定子への限りない尊敬とやさしさがあったことを「清少納言と藤原定子のものがたり〜枕草子ができるまで」にこめました。
そう、清少納言に伝えたくてー
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