賢治が書く文章は、風が見える

さわやかな9月1日の朝。

「青空で風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。

教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました」

賢治が書く文章は、風が見える。自然が描写されるのではなく、生きている。

子どもは自然と同化する。

だから、言葉と照合しなくても、感覚が「わかる」。

1年ぶりの「風の又三郎」。

こんにちは。一郎、嘉助、三郎、耕助、五郎、佐太郎

ああ、わくわくする。

あの子たちの息づかい。

すがすがしさで心があらわれる。

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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