「親譲りの無鉄砲で、小どもの頃から損ばかりしている」。
かの有名な一節で始まる「坊ちゃん」。
今回は第2回。いよいよ坊ちゃん、清さんと別れて松山に赴任するところから。
「おれ」がず〜っと「おれ」の目で「おれ」の心情が表れる事象を聞かせてくれる。明治のこの時代の文体としては、とてもユニークで新しかったと思う。私もおのずと、「おれ」になって語って聴かせる。
「おれ」の気質は、話し方そのもの。リズミカルで小気味いい。きもちがよい。
あれ?なんだ?扇子でパンッと拍子を入れたくなった。
宿直番の夜。寄宿生たちのいたずらと真っ向勝負の坊ちゃん。情景が目に浮かぶ、というより、バッタと格闘する坊ちゃんそのものになって、なにがなんでも、とっちめる。てやんでえ!江戸っ子坊ちゃんだ!
「落語を聴いてるようでした!」
坊ちゃんから私に戻った時、開口一番、そう言われた。しかも、この日は、落語好きの方が聴きにきていて、その話で盛り上がった。
漱石は、明治40年雑誌「趣味」でこう語っている。
「落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店へ聞きにでかけたもんだ。何分兄等が揃って遊び好きだから、自然と僕も落語や講釈なんぞが好きになって仕舞ったのだ」
そうか。やっぱりね。
落語は語りの伝統芸能。うまい!と語りそのものを聴きにファンが訪れる。声は一本。ドラマティックリーディングは、声帯を駆使する。声は一本ではない。映像を見ているような語り。
道は違うけれど、声と語りで人を惹きつける。泣いたり、笑ったり。
「おもしろかった・・・」
とつぶやいてもらえたら、それがよろこび。
まだまだ精進。
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