「泣きながらダメな自分を抱きしめよう」

忘れたくても忘れられない病室でのワンシーンがあります。あの年は梅雨が長引いて空はいつもどんよりと曇っていました。初めて対面したリハビリの先生に「あなたは失語症ですからね」と言われた時、私はなんの心構えもない全く無謀な状態でした。家族がずっとだまっていてくれた残酷な告知は、いともあっけなく私に告げられたのです。

どう受け止めればよいか一瞬わかりませんでした。ただ初めて、仕事復帰の可能性が限りなく100%に近く、ない、と悟りました。「私、仕事に戻れないんですね」と先生に聞いた時、涙がぽろぽろこぼれました。先生も、私がそのことを知らなかったのだと、その時気づいたのでしょう。バツが悪そうに、「100%とは言い切れません。ただ、今までやってこられた仕事はどうでしょう。あせらずに、まずリハビリから始めましょう」たぶん、そんなことをおっしゃったのだと思います。病室を出て行く先生の白衣と、スライド式ドアが締まるその光景だけをはっきりと覚えています。本当に初めて私は泣いたのです。それまではまさか自分がそんな後遺症を抱えているなんて夢にも思っていませんでした。

文庫本が読めないことも、字を上手に書けないことも、みんなの言っていることがよくわからないことも、すべて失語症だからなのだ。そう理解したと同時に、私は深い闇の底へ突き落とされたのでした。

翌日、初めて訪れた言語療法室でさらに追い打ちをかける出来事が待っていました。それは失語症のレベルを確認する簡単な問題でした。用紙には太陽や、ひまわりや、時計や、幼稚園児が読む絵本のような画がたくさん並んでいました。これを、ひとつひとつ答えるの? 立ち直れないほどの屈辱感。私は「太陽です」と答えなければならないのでした。ついこの間まで、生放送の現場で原稿を読んでいたのに、今は幼稚園生なのだ。自尊心は木っ端微塵に砕け散り

生きる意欲は完全に失われました。もう涙も出ませんでした。

そんな私を慮った言語療法士の先生は、「沼尾さんにはこっちの方がいいですね」と言って五十音の訓練用文章を用意してくれました。それはアナウンサー新人の頃、毎日練習していた馴染み深いものでした。

これなら読んでみたい。少しだけ前向きになり声に出してみましたが、うまく口がまわらないのです。目で文字を認識しても声に出すところで回線がぷっつり途切れるというのでしょうか、文章にならないのでした。

リハビリは、こんなこともできない、あんなこともできない、できないことをひとつひとつ認識することから始まります。つらくて苦しい作業です。でも、ここが出発点でもあるのです。ダメな自分を真正面からしっかり見つめる。逃げていてはいつまでたってもスタートを切れません。泣きながら自分を抱きしめましょう。涙は必ず乾きます。

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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