迷った時、選択をするのは自分

出口のない暗闇の中にいました。どうしたいのか、自分の心に問いかけても答えは見つかりません。脳梗塞の後遺症とはそういうものです。

どうしたいの?その問いかけほど残酷なことはありません。

それは自分だけに許される行為。自分だからできること。自分にしかできないこと。

元通りに戻るのか?戻らないのか? いつ戻るのか? どうすれば戻るのか?

この当たり前の疑問に答えられる人間はどこにもいません。

だから、心身ともに深く傷つき生きることが苦しいのです。今までできた当たり前のことができない。頭では理解しているからなおさら辛いのです。だから、やさしくされればされるほど卑屈になってしまう。自分はこんな情けをかけられるほど惨めな人間なのかと。

このリハビリを何ヶ月続ければ元通りになるとわかっていれば、前向きに考えることできます。でもどこにもそんなデータは存在しません。

これでよし!とするボーダーラインはひとによってまちまちです。人様に迷惑をかけないで日常生活が送れるようになれればと思うひと、趣味のジョギングを再びできるようになりたいひと、文字がスラスラ書けるようになりたいひと、

包丁を握って料理がテキパキとできるようになりたいひと、そして、多くは仕事に復帰したいと願っているのではないでしょうか。元いた部署でプロジェクトを成功させたい、仲間と一緒に働きたい。経済的に自立したい。

結果的に私は元の場所に戻ったのですが、「本当にやりたいことは何?」というあの言葉に出会わなかったら、もしかすると違う人生を歩んでいたかもしれません。違う人生、それは言い訳をする生き方です。

あの時私は現場復帰をするかしないかの選択を、強引なやり方ではありましたが自分の意志ですることになりました。

元いた仕事に復帰するという険しい道のりを選んだのです。もし、どうせできやしないのだからとしかたなく別の道を歩んだとしたら、今頃ずっと言い訳ばかりしていたと思います。こんなこと本当はやりたくなかった。誰々がそう言ったからやった。どうせ今さら何をやってもダメなんだ。

元いたところに戻ることがりっぱだというのではありません。まったく違う仕事をする、また、まったく仕事をしない選択もあります。大切なのは、「しかたなく」、ではなく、「自分の意志で選択する」こと。

人生の主人公は自分です。作者も自分。ストーリーを自在に作り上げていくことができるのは自分しかいません。どんな人生も自分で選択したなら言い訳はできません。責任をもってよき人生を歩む。そう私は決めたのです。

よき人生とは、私の生きる使命とは、ひとに喜びを与える生き方、感謝する生き方です。

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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