このあとの記憶はぼんやりしている。どこか2ヵ所に連れていかれた。CTとMRIを撮ったのだとあとで知った。
気がつくと病室のベッドの上にいた。まだ、ぼんやりしている。先生が、「ちょっと背中を丸めてね」「ちょっと痛いですよ」と言っている。その直後、″ちょっと痛い〞どころか、「うっ!」と声が出るほどの激痛が体を走った。検査のために骨髄液を抜いたらしい。これも、 あとで知ったこと。
少し落ち着き、窓の外に目を向けると、どんよりした曇り空しか見えない。私自身は、相変わらず点滴につながれたままだ。よく見ると、管が1本増えている。左手の人差し指がクリップではさまれて、その先に機械が。どうやら私の体は完全に監視されているようだ。
私はひとまず友人たちにメールを送ることにした。サイドテーブルのケータイを取り上げる。えーっと 。あれっ、どうしたんだろう。メールがうまく打てない。伝えたいことがあるのに、頭の中で文章を組み立てることができない。
ケータイに視線を落とす。五十音はどんなふうに配置されているんだっけ。ケータイのキーはちゃんと見えているけれど、文字が拾えない。それでも、とにかく指を動かしてみる。画面に出るのは、いろんな文字と記号がメチャクチャに入り混じったメール。これじゃあ、赤ちゃんがいたずらしてお母さんのケータイを触ってできたメールじゃないの。おかしい。でも、何度やっても同じ。メールが打てない。
このままでいいや。とにかく送ろう。伝えたいことはわかってくれるだろう。そう思って、メチャクチャなメールを送信した。
空白ばかりの数日間が、ここからスタートした。
「MRIに脳梗塞巣がはっきり映りました。命に別状はありませんが、脳梗塞は8センチもあって大きいです。ちょうど言語を司るところにあるので後遺症が残るかもしれません」
容態の急変に呼ばれた家族に医師はそう告げた。私には何も告げられなかった。
周囲がぼーっともやに包まれたような状態になってどのくらいの時間がたったのだろう。
検診に来た看護師が、私の目を見ながらゆっくり大きな声で聞いた。
「お名前は?」
「・・・・・・・・・」
「お・な・ま・え・は・な・ん・で・す・か?」
一音、一音、区切って聞かれ、質問されたことが分かった。
「え〜っと、え〜っと 。ひ ろ こ 」
私は、自分の左手首に目を落とした。でもどうしても苗字が分からない。
左手には規定のリストバンドが巻いてあり、そこに患者番号と病室、そして名前が漢字で書かれてあったことを思い出した。
「・・・・・これ ・・・・・、なんてよむの・・・・・ 」
「沼尾って書いてあるよ」
「ぬ ま お ?」
私は、自分の名前も分からなかったし、字も読めなかった。
あるときは、医師や看護師を前にして、ボンヤリとした声ながら、仕事に戻りたいと訴えた。
「私ね、早く戻ってね、テレビの6チャンネルでね。えーっと、えーっと。私の仕事は、なんて言うんだっけ?」
「ナレーターですか?」
「な・れー・たー?」
あんなに好きな自分の仕事の名称も分からなかった。
この時期の私の記憶は、非常に不鮮明である。覚えているのは、目が覚めてから眠るまで、いつもお寺の大きな鐘の中にいるように、頭の中でグワングワンと音が鳴り響いていたこと。付き添われてトイレに行き、便座から立ち上がろうとすると、頭がクラッとすること。早く 退院して仕事に戻りたいと伝えたいのに、それを言葉にできなくて、もどかしくてたまらないことなどだ。
そして、医者や看護師に何か質問されると、必ず「大丈夫です」と答えていた。
いや答えようとしていた。もしかしたらきちんと言えていなかったかもしれない。その時はそんなことすらわからなかった。とにかく、
「もう大丈夫」 と意思表示さえ言えば、早く退院させてくれるのではないかと思っていたような気がする。
ぼんやりしていると、病室のスライドドアが開いた。ごく親しい友人がお見舞いにきてくれたのだ。友人たちは、私を真ん中にしてワイワイ賑やかにおしゃべりを始めた。友人たちは外国語でしゃべっている。何の話をしているのかわからない。でも、楽しそうだ。私の心も華やいだ。ニコニコして聞いていた。会話に加わりたいから、途中で「そうなの〜」と相づちを打つ。友人たちは、 私の顔を見て、うなずくと、また笑いながらおしゃべりを続けた。
「名前、取り違えていたね」
帰り道、友人達は「ぴろ、たいへんなことになっちゃったね」と話していたのだとあとで教えてくれた。
私はその場にいた友人たちの名前をごちゃごちゃにして呼んでいたらしい。
不思議だった。みんなの言ってることがわからない。とても広い教室でとても 遠くから聞いている授業のようだ。そして、私は先生の話も上の空のダメな生徒。ゆっくり話しかけられると、わかる部分もあれば、わからないところもある。わからない部分のほうが多いかな。数人が普通のスピードで会話しているのをそばで聞いている場合は、まったくわからない。たとえばロシア語とかフィンランド語とか、普段まったく縁のない言語の国に、ひとり迷い込んだような感じ、とでもいえばいいだろうか。
おまけに、自分の名前が言えない、固有名詞が思い出せない、思っていることがうまく伝えられない。メールが打てない。テレビでドラマを観ていても内容が少しもわからない。 しかし、つらいとも、悲しいとも、苦しいとも思わなかった。その時の私は、自分がどういう状況にあるのか理解できなかったのだ。「わからない」ということが、その結果、どんな現実を引き寄せるのか、まだ理解できなかった。
とにかく、病名がはっきりしたなら、早く治して。そして、いつ退院できるのか教えて。そればかりを願っていた。急遽、休んでしまった仕事のことだけが気がかりだった。
<続く>
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