医療コミュニケーションについて思うこと

だれでも少なからず一度は病院に行った経験があるでしょう。今まで一度も医者にかかったことがないという方もまれにいるとは思いますが、私達の人生に切っても切れないのが病院です。

では、ひとが病院に行く理由は何でしょうか。大きくは次の3つでしょう。①具合が悪いから。②具合の悪い原因を突き止めたいから。 ③具合の悪さを治してほしいから。大抵の場合、元気なひと、健康なひとは病院には行きません。

さらに、尋ねます。病院を訪れる人はどのような精神状態でしょうか。これはひと言で言えます。「不安」です。医療従事者はこの「不安」を取り除くことが仕事です。このページの本題、失語症者とのコミュニケーションに入る前に、患者の体の不具合、精神的不安を取り除くというあたりまえの医療の目的をまずは再認識することからスタートしましょう。

さて、体の不具合、病気や怪我の治療は医師の領域ですのでおまかせするとして、患者の心の不安を取り除くにはどうしたらいいでしょうか。それは患者を孤立させないことです。医療者が病気を治すという同じ目的を持つパートナーであると、患者ご本人に認識していただくことが最も重要なことなのです。では、どのように?そこに必要不可欠なキーワードが「コミュニケーション」です。コミュニケーション力は医療従事者が会得しなければならないもうひとつの重要な技術です。

ここで、本題に入る前に、コミュニケーションそのものについて文字を割くことにします。

コミュニケーションの定義はさまざまです。126の定義を見つけたという報告もあるほど多くの学者が研究を重ねています。いくつかご紹介しましょう。

「コミュニケーションは他者の行動やその影響に対して、何らかの反応を示した場合に常に見られるものである」 R.Porter& L Samovar

「コミュニケーションは、動的でシステマティックなプロセスであり、その中のシンボルにより、意味が創造され、人間の相互作用に反映される」 J.Wood

「コミュニケーションは、人間の間での知識、アイディア、考え、概念、感情の交換である」 D.Matsumoto Communicateはラテン語で、与える、分かち合う という意味があります(オックスフォード辞典)。

原点に立ち返ると、考えや知識を与える、伝わる、交換することがコミュニケーションであると言えるのではないでしょうか。そこには「言葉」が介在します。「言葉」を介して理解し、理解してもらう。言い換えれば「伝える」「伝わる」ことができます。私達は「言葉」によって情報共有し、自分の存在価値が形成されます。

「言葉」の本質的役割はコミュニケーションなのです。

ところが、言葉のとらえ方というのは、その人の置かれた状況や心理状態によって大きく変わります。つまり、絶対的に正しく伝える、伝わるということは不可能ということになります。どういうことでしょうか。

よかれと思ってかけた言葉が逆に悪意にとられたりした経験はありませんか?「がんばって」が励ましにとらえられることもあれば、意地悪に思われたり。伝え手から発せられた言葉は、場所や育った環境、状況、感情、言葉の理解度によって屈曲して受け手に伝わります。フィルターが存在する限り絶対正しい送受信は不可能と言えます。だからこそ、私達は正しく伝え、正しく伝わる努力をしなけれななりません。コミュニケーションには双方が伝達事項の正しい共有を行う努力が必要不可欠なのです。

さらに、困難なのはこのフィルターが絶えず流動していることです。同じ人、同じ言葉でも、状況や感情が変わると、まったく違う意味に取られてしまいます。コミュニケーションに正解はなく、これさえ覚えれば大丈夫!という法則は存在しません。つまり、向き合う患者の数だけコミュニケーションが存在することになります。考えただけで気が遠くなりますね。

ひとりひとりの心に向き合うのは大変な労力ですし、それは時間的に無理と最初からさじを投げてしまうのはあまりにも残念です。医療という職務を放棄していることと変わりありません。

 

医療に従事することを生業に選んだ者が背負う重み。それは、ベルトコンベアから流れてくる部品を寸ぷん違わず製品に作り上げるのとは全く質が違います。

人間には心がある。育った環境、家族構成、性格、ひとりとして同じことはありません。だからこそ教科書に当てはめるのではなく人間に向き合ってほしいと思います。

医療の現場というのは時に生と死という、その人の人生に直接関わる特別な場であり、そこで働く人間は命を預かる使命を負っています。命だけではありません。人生も左右する神のような存在といっても大げさではありません。

突然脳梗塞になり失語症という後遺症を負ったひとは、突然夜の大海原に浮き輪一つで投げ出されたのと同じで孤独と恐怖、不安で押しつぶされそうな精神状態になります。これから突然降りかかったその人生を背負っていかなくてはならないのです。その一番最初に関わる医療者はそのひとのこれからの人生を大きく左右するキーパーソンだということを忘れないでください。言葉ひとつで、前向きに生きていく舵取りができるか、悲観して鬱状態に陥るか、天国か地獄かの切符を手にしているのが最初に関わる医療者なのです。

 

確かに現時点の医学で一度死んだ脳細胞は生き返りません。つまり、リハビリテーションは再生作業ではなく、新たな回路をより有効に活用する訓練と言えると思います。そういった意味で「失語症は治りませんよ」と言ってしまったら、大多数の患者は「治らない」の烙印を押されたことに失意し、前向きに生きる希望を失います。治らないリハビリなどしたくなくなるのは当然です。 〈続く〉

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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