毎朝8時半に病室に掃除のおばさんがやってきました。おはようございます、と笑顔で入ってきておしゃべりしながら床をモップで磨きます。
実はこの時間がとても苦痛でした。おばさんの言っていることがほとんどわからなかったからです。今日はご主人のことを話してるんだな、今日はドラマの話だな、となんとなく思うのですが内容はまったく理解できません。聞き慣れている家族の声はなんとか認識できるのですが見ず知らずの方の会話はまるで宇宙語でした。本来ならだれよりもおしゃべりな私です。一緒にへ~とか、そうなんですか、とか楽しく会話したいのに、ぼ~っと聞いているだけの自分がもどかしくて惨めで、本当は家族以外のだれとも会いたくありませんでした。でも、おばさんは容赦なく病室に現れます。なにも悪いことをしていないのに私はおばさんが好きではありませんでした。
そんなこともあって、私はしばらく友人のお見舞いも断ってもらっていました。
うまく会話できない惨めな自分をさらけ出したくなかったからです。徐々に理解できる言葉が増えていき、ひとりで売店で買い物ができるようになった頃、ようやく家族以外の人間と話す勇気が湧いてきました。
お見舞いに来てくれた気心知れた友人との会話はとても緊張しました。気を許すとわけのわからない返答をしてしまうのではないかと不安でいっぱいでした。
友人達は仕事のことは一切口にしませんでした。たわいもない話ばかりして、きっと私のことを気遣ってくれたのでしょう。どれだけ有り難かったかしれません。
ある時、長年担当していた番組のデスクの女性が病室に訪れました。そして、こう言いました。
「私、沼尾さんの声大好きなんでです」
緊張の糸が切れて、涙が後から後から溢れました。仕事復帰の目処さえ立っていない私に彼女が投げかけたまっすぐな言葉。うれしくて、ただうれしくて、言葉がひとをこんなにも幸せにするのだと初めて思いました。そして、この言葉が現場に戻りたいという小さな望みを生み出したのでした。
退院する日の朝、掃除のおばさんはいつも通りにやってきて、「花がいっぱいだねえ。ナースセンターに飾ろうか。おばさんがやっとくよ」と言いました。
お願いします、おばさん。そして、心の中でこう言いました。毎朝声をかけてくれてありがとう。まっすぐな気持ちでそう言える私がいました。
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