mapを読み解く!

3カ所のおすすめポイントを通過してスタンプを押してもらう「おさんぽmap」を見ながら説明することを行いました。駅の何番出口から出て右に曲がるのか左に曲がるのかからスタートします。おすすめコースは赤い点線で記されていて、その点線をたどって目的地にたどり着けばOK。信号の名前、目印の建物、何本目の道路、橋の名前、首都高の下、など、さまざまなアイテムを右左間違うことなく、伝えてもらいました。少し難しいところもありましたが、今日参加したみなさんは、自分が歩いているようにmapをとらえ、ほとんどまちがうことなく説明できました。空間の認識力が保持されていることがわかりました。こういったデキる体験をたくさん積んでほしいと思います。できることから自信をつけ、そこに音声のマッチングがついてくれば、他者との正しい情報の共有が可能になります。このmap説明は好評だったので、また行うことにしました。
次回は9月12日です。

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「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」6 〜 仕事現場の状況は・・・

それまで私は仕事のことばかり考えていた。レギュラー番組を突然お休みして、多くの人に迷惑をかけているに違いない。早く戻らなければとあせっていた。

思いがけず緊急入院をしたあと、私の仕事の現場はどうなっていたのか。あとで、聞いたところによると・・・。

所属する事務所のマネージャーは、当初、病院の説明通りに「沼尾の入院は一週間」と番組制作側に伝えたという。それが、もう一週間、いや、まだはっきりしないと、どんどん入院期間が延びていき、復帰できる時期について病院に聞いても「まだわからない」という答え。

局側に、どう説明したらいいのか考えあぐねたらしい。病名は、最初に疑われた「脳炎」のまま。脳梗塞と診断が出ても、この病名は伏せられていた。脳梗塞とわかれば「どこかに障害が?」と尋ねられるに違いない。そのとき、どう答えるか。ナレーターにとって、言語中枢に障害があるということは致命傷に他ならない。やはり、脳梗塞とは言えなかったのだ。

局側にマネージャーは、笑顔で「検査の結果が出るまでもう少し待ってください。沼尾は大丈夫です!」と伝えた。そして、私が完治して復帰するまで代役を立てるという方針で話し合っていたらしい。つまり、沼尾ひろ子は大変な病気であるが復帰はする、という方向で。

しかし、私の入院期間はどんどん延びていく。局側が「一体どうなっているのだろう」「本当に復帰できるのか」と不安に思い、「復帰できるとしたら、いつ頃だ」と知りたがるのは当然のこと。マネージャーだって、できることなら復帰できる時期をしっかり伝えたかったはず。そうすることが私のナレーター生命を守ることになるし、沼尾ひろ子を守るという事務所のマネージャーとしての使命と感じていたのだ。でも、私自身もわからないのだから正確な情報を得られずはずもなく、マネージャーは復帰時期を明言できないもどかしさの中にいた。これが、周囲の状況だったようだ。

そんなわけもあって、仕事関係の方のお見舞いは基本的にお断りしていた。

17日には日記に《胸がドキドキする》と書いている。この頃、早朝の原因不明の動悸に悩まされていた。 朝まではほとんど眠れなかった。気がつくとカーテンの外が薄ぼんやりと明るくなり、私はベッドから起き上がる。カーテンを開けると、まだらネズミ色の空が広がっている。毎日同じ梅雨空だ。ああ、気が滅入る。朝のこの瞬間が一番やっかい。息ができないほど苦しい。得体の知れない不安で胸がドキドキする。窓の鍵を外し、一歩、空に踏み出したら苦しい現実から解放されるかもしれない。そのほうが、どんなにラクだろうと思う。

死の誘惑から私を救い出してくれたもの。それは、窓辺を埋めつくす花たちだった。私が病気で仕事を休んでいる、ということは、多くの人の耳に入っていたようだ。毎日のように友人や番組関係者からお花が届いた。水を吸い上げて生き生きと咲き誇る花々は、病室に活気と彩りを添えてくれる。植物は「生」そのものだった。そんな花たちから、私は少し元気を分けてもらっている気がする。窓辺の花たちは「私たちを乗り超えて、窓の外に足を踏み出してはダメよ」と、ささやいているようでもあった。

「今日もきれいに咲いてね」 声をかけながら花瓶の水を入れ替える。そして、ようやく私は、なんとか気力を奮い立たせ、今日という一日をスタートさせていた。

〈続く〉

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5W1Hで会話の迷子を解決!

5W1H で文章を作ることをしてみました。いつ(When)どこで(Where)だれが(Who)なにを(What)なぜ(Why)どのように(How)。これは的確な言葉を探り当てているうちに会話が迷子になりがちな失語症の方の悩みを解決するカリキュラムのひとつです。「1インタビュー×1答え」カリキュラムは1対1での会話を想定しての練習でしたが、今日行ったのは、複数のひとに対して自分の状況、情報を教える「1対複数」カリキュラムです。まず、5W1Hを埋めてもらいました。お題はフリーです。記憶に留まっている身近に起こった出来事が一番書きやすかったようです。これはいってみればメモ書きのようなもの。今度はそれを全員に発表してもらいました。いつ、どこで、だれが、何をしたか。どうしてしたのか。どのようにしたのか。一度書くと、周囲に順序立てて話すことができます。もし、うまく文章化できなかったり、言葉で説明できなかったりしても一向にかまいません。足りない部分や、もっと知りたい情報は、周囲のひとが質問していきます。その質問に答えることで、発表者の情報は完成されます。これこそが、コミュニケーションなのです。そもそも書字が困難なひとは5W1Hを埋めることに一苦労していましたが、この場合、伝えたいことは形成されており、言葉で発表することは問題なくできました。事実は埋まったけれど、そこに感情をのせることが困難なひとは、他者からの質問に答えることで自分の思いを伝えることができました。それでも途中で伝える内容が迷子になってしまいそうなひとにも、質問によって修正されていきました。記憶があいまいなひとは、日時をピンポイントで伝えることに固執せず、むしろ、日本語の持つ時節や時空間を表すさまざまな言い方に置き換えることで、やわらかなあたたかい伝え方になりました。内容もそれぞれ興味深いもので、質問が積極的に飛び交い、コミュニケーションがとてもよく育っていました。

次回は8月22日です。

 

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「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」5〜脳梗塞の後遺症を知らされて

ドキュメント5 「脳梗塞の後遺症を知らされて」

入院9日目。頭痛はかなりおさまってきたけれど、耳鳴りは相変わらずひどい。とくに左の耳の奥は、起きているあいだ中、鐘がブウォオ〜ンと鳴り響いている。鐘つきの和尚さんに「たまには休憩したらどうですか」と言ってあげたくなる。

午前中、CTを撮りに車椅子で地下まで降りた。病室から出るのは久しぶり。やっぱりうれしい。同じ病院内でも病室と廊下では、なんだか空気が違う。廊下も、脳神経外科病棟の5階と外来フロアの1階は、時間の流れる速度が違うみたいだ。

看護師さんが車椅子を押してくれる。どんなときでも、おしゃべりを楽しみたい私だが、今は違う。黙ったままでは居心地が悪い。でも、何を話せばいいかわからない。元気なら3秒と黙っていられない私、たぶん「看護師さん、お忙しそうですね」「今年は、梅雨がなかなか明けませんね」などと話しかけていたと思う。だけど、今はどんなふうに会話をしたら楽しい道中になるのか、頭が回らない。

それでも、院内を移動するのは楽しかった。行動範囲が制限されている入院患者の楽しみといったら、朝、昼、晩の食事、そして、検査のための移動ぐらいである。5階から地下にエレベーターで移動するだけのことだが、ほとんどベッドに横になっている私にとって、一大イベントなのだ。

午後には、お風呂タイムが待ち受けていた。入院してから9日目にして、初めてシャワーを浴びることを許された。このときをどんなに待っていたことか。体は毎日、蒸しタオルで拭いていたのだが、髪だけはどうしようもなかった。においも気になるし、こんなに頭皮がオイリー で、ペタッとした髪、ありえない! だから、シャワーの許可は、本当にうれしかった。普段ならシャンプーなんて、日常のささいな習慣のひとつ。それが、状況によっては、こんなに気持ちをウキウキさせてくれるのだ。人間がちょっと幸せな気分になるのは、案外簡単なのかもしれない。

入浴後は疲れてベッドに横になった。ただシャンプーをしただけなのに、かなり体力を消耗した。そこに、初めて見る白衣の男性が入ってきた。

「こんにちは。ぬまおひろこさん?」

「はい。・・・こんにちは」

だれだろう。白い服を着ているから医師だろうか。

「調子はどうですか?」

「・・・はい、頭痛だいぶおさまりました。左の目の奥はまだ、ず〜んと重たいです。それと  、耳鳴りがします」

私は、できるだけはっきり自分のことを伝えようと、少しムキになった。「ほら、私はこんなに大丈夫なんですよ。早く退院させてください」という思いがそうさせた。男性は、私の顔をのぞき込んだ。

「うまくしゃべれますか?」

待ちに待った質問が来た。やっと私の話を聞いてくれる人が現れた。ここをうまく切り抜ければ、 退院させてくれるかもしれない。

「あの・・・少しヘンでした。忘れてしまったことが、・・・ありました。でも・・・だいぶ・・・」

「そうですか」

「あの・・・・私、テレビやラジオで、えっと・・・・」

「毎日・・・・しゃべってます。今、仕事、休んでるんです」

「そう、それは大変ですね」

「あの・・・・うまくしゃべれませんが、いつ治りますか?誰も・・・・何にも・・・・教えてくれないんです」

心の中に溜まっている思いを、ここぞとばかりに吐き出した。すると、白衣の男性は、腕を組みながら言った。

「そうね、3ヵ月ぐらいはかかるかなあ」

「えっ・・・・・3ヶ月? そんなに?」

あまりにも想定外の返事に絶句した。

「人によっていろいろなんですよ。半年とか1年、2年かかる人もいれば、リハビリでずいぶん早く回復する人もいます。早ければ2ヵ月とかね」

「だって・・・・最初一週間って・・・・」

そこまで言うと、涙があふれた。

「あの、私、仕事・・・・できないんですか・・・・?」

白衣の男性は私の仕事への思いに、やっと気づいたようだった。

「えーっと、今言ったのは、日常生活を送るための言語の回復のことです」

そう言ったあと、一度、言葉を切って、こう続けた。

「仕事となると、うーん、なんとも言えないなあ」

「なんとも言えない」って、わからないってこと?いつ仕事に戻れるか、わからないの? 私は、ようやく自分の身に起こったことの重大さに気がついた。どうして?どうして、こんなことになっちゃったの?

白衣の男性は

「明日、その他の麻痺がないか、検査しましょう」

と言って、背を向けた。

男性はリハビリ担当の医師だった。

ドアがバタンと閉まった。一瞬の静寂。

私はうまく言葉が出てこない。いつ治るかわからない。これが脳梗塞の引き起こしたものだったんだ。拭いても拭いても涙がとまらず、気がつくと私は声をあげて、子どものように泣いていた。

〈続く〉

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商品番号を電話で伝える

商品番号を電話で正確に伝えることはとても難しいことです。数字、アルファベットの大文字小文字、それら6〜10ぐらいの羅列を、まず、文字の認識から音へのマッチング、しかも、相手に伝わる発声をしなければなりません。意味が伴わない発音記号の要素が大きいため、音韻変換の困難な方にはとてもハードルが高いのです。練習のしかたは、はじめに自主的に速音読してもらいました。これは、視覚情報処理と発声までのタイムラグを縮めるために行います。次に、運動機能と連動させてしっかりした発音で群読します。その後、ひとりひとりに、商品番号を電話で尋ねるロールプレイングを行いました。数字の○、アルファベットの大文字の○、アルファベットの小文字の○、というようにひと文字ひと文字説明していきます。もう一度くりかえし、最後に、連続して発音し、互いに確認して終了。音マッチングが困難な方にはふりがなをふってもらいました。なぜ、かなをふってもらうのかというと、残韻で正しい音ととのマッチングを行ってもらいたいからです。まちがった音で繰り返すと、遠回りの練習になってしまいます。かなをふることは恥ずかしいことでも何でもありません。できれば、率先して行ってもらいたい作業です。

残韻を日常生活の中に取り入れている方もいらっしゃいました。地図をみて、改札何番出口か、建物の何階かを覚えて、間違わずにたどり着けるというのです。4番出口なら、4よん・4・よん・・・・と、数字の4の画像を脳内に映し出し、その4の画像に、よん・yonと音をマッチングさせて、発声を繰り返すことによって、今度は、自分の声による音情報が入ってきます。聴覚情報が追加され、さらに、しっかりとすべての情報を結びつけることができるのです。これこそ、残韻の最たる活用法です。すばらしいですね!みなさんの努力にはいつも感心させられます。

次回は、8月8日です。

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