「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」8〜リハビリ計画書に″失語症〞の文字が!


  「こんにちは〜」 カジュアルな服装をした2人の男性が、ひょっこり顔を出した。「あら〜っ。(えーっと・・・・)」ああ、よかった。2人の名前を覚えていた。私は内心ホッとした。この、名前と顔が一致するかどうかというのは、今の私にとってかなり難関の抜き打ちテストだ。

「お見舞いが遅くなっちゃってすいません。沼尾さん、元気そうじゃないですか」

そう言って2人はニコニコしながら顔を見合わせた。彼らは長年レギュラーをつとめているラジオ番組のスタッフ。明るく最近の番組スタッフの様子などを報告してくれた。

話が盛り上がっていたとき、突然病室のドアが開いた。

「沼尾さん、これ、預かってきました」

と看護師さんがA4判ぐらいの水色の封筒を持って入ってきた。私が受け取ると、彼女はすぐに病室から出ていった。何だろう。下のほうに「リハビリテーション実施計画書」という判が押してある。中にはやはりA4サイズの紙が1枚だけ入っていた。

〈ヌマオヒロコ殿   診断名:脳梗塞   jo b     ナレーター〉

その下に横書きでチェック項目がぎっしりプリントされていた。

〈寝返りができる 屋内歩行ができる

・          〉

よくわからない項目もある。しかし、とくに気になる部分はなさそうだ。一番下の段に手書きで2行、何か書いてある。なんて書いてあるのだろう。達筆すぎてよくわからない。

「これなんて書いてあるのかしら?一番下の手書きの部分」

私は軽い気持ちで、この紙をスタッフのひとりに渡した。

「どれどれ、えーっとですね・・・・日常生活上は問題ありませんが、長い文になると理解が曖昧になるようです。失語症・・・・」

とっさに彼の手から紙をもぎ取った。

「あ、ありがとう」

と言いながら私は動転していた。長い文章の理解が曖昧?失語症??私、失語症なの?

その場をどう取り繕ったのか覚えていない。「リハビリ」という言葉を聞いたとき、ほんの少し明るい光が射したのに、失語症という言葉に一気に底無しの真っ暗闇に突き落とされた。

これまでだって、回復するまで3ヵ月かかる、半年かかる、あるいは1年と聞かされて落ち込んだ。しかし、いつかは元の自分に戻れるのだとどこかで思っていた。だけど失語症についてはよくわからない。ただ、言葉を仕事とする者が、失語症を患うなんて・・・

〈理解が曖昧〉!?自分ではちゃんとしゃべっているつもりで、言われたことも一応わかっているつもりだった。他の人との会話もそれなりに成立してると思っていた。でも、実はそう思っていたのは私だけ? みんなは「わかった」って言ってくれるけど、それは、ここが病院で、私が患者だから?

私は完全に打ちのめされた。私はバカだ。こんな大事な宣告を、何の心構えもできていないまま、他人から知らされてしまうなんて。いえ、知らずに宣告させてしまった2人に申し訳ない。

その後も、表面上は笑顔で、とりとめのない会話を続けた。しかし、心の中で私は自分に向かって叫んでいた。仕事復帰?できるわけないじゃない。私は失語症なんだから。マネージャーに「大丈夫」なんて、どうして言ってしまったのだろう。私、文の理解もできないのに。私はバカだ。本当にバカだ。

どれくらい時間がたったのだろう。

「これ、新社屋の入館証です。僕たち局で沼尾さんを待ってますからね!」

ドアが閉まって、ひとりぼっちになった病室。私の頬を涙がひと粒、つたい落ちた。やがて、あとからあとから涙が転がり落ちる。そうやって永遠とも思える時間、私は涙を流し続けた。手に握りしめた真新しい入館証には「沼尾ひろ子」と印刷されていた。

〈続く〉

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仕事に対する具体的な目標を書く!

初受講生へのインタビュー、1質問1答えがとても明解になってきたことを実感しました。質問のしかた、答え方ともにセンテンスを短く、そして、まずは答えを言って、その後に補足する。英語の組み立てに似ていると思います。日本語は、最後まで聞かないとYESなのかNOなのかわかりませんが、英語は先にYES、NOがあって、Because。インタビューでも何を聞きたいのか理解し、「何を」の部分を伝えます。この訓練ができると会話の迷子が大幅に軽減されます。受講生のみなさんはまさに、迷子がなくなってきたのです。脳は学習する。経験値を上げることの重要性を改めて知らされました。

そして、今日は、仕事に対する具体的な目標を書いてもらいました。言語ボイストレーニングは発声、滑舌、会話、コミュニケーション、生きていく上で必要な言葉に関するトレーニング全般を行います。声が出るようになりたい、会話を上手にしたい、というテクニックの習得を目標にしてもよいのですが、みなさんはそれぞれ、培ってきた知識も仕事も、これからどうやって生きていきたいのかも違います。共通しているのは、「自立した生き方」といえるのではないでしょうか。「自立」とは自分の人生を自分で背負っていくこと。それには、「精神的自立」と「経済的自立」の2つがあって初めて成し遂げられるものです。そのために、仕事をしたいと思うのは当然のこと。では、どんな仕事をしたいのか、そのために必要なことは何なのか、自分自身に向かい合って欲しかったのと、そのために必要なことを、カリキュラムにしたかったのでした。みなさんの目標を実現するために、より優先的なトレーニングを組んでみたいと思います。

次回は9月26日です。

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「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」7 〜本当にもう一度、マイクの前に座れるの?

朝は先生の回診がある。8時半ぐらいになると、何の前触れもなく 廊下のスライドドアが開いて、白衣の3人が「いかがですか?」と入ってくる。私は頑張って、目をパチッと大きく見開き、できるだけシャキッとして「あ・・・いい感じです」と答える。

しかし、次の言葉が出てこない。聞きたいこと、言いたいことは、山ほどある。「あの・・・・」と口を開いたときには、もう先生方は、ニコニコしながら手を振って行ってしまったあとだ。

17日。私の朝の日課に新しいメニューが加わった。リハビリ専門の先生の検診だ。私に言語以外の麻痺がないか、調べるためだった。車椅子に腰掛けたまま、先生と向き合う。そして、指示された通りに私が手を広げたり、先生が顔の前に立てた人差し指 をゆっくり動かし、それを私が目で追ったり。とてもシンプルな検査ばかりが行われた。どれも私にとって簡単なことだった。その結果、手足の麻痺はなしと診断された。

手足の麻痺は、私自身もまったく感じたことがなかった。お箸を持って普通にご飯を食べることはできたし、文章はチンプンカンプンだけど、以前と変わらぬ形の文字を書くこともできた。日常生活に大きな不都合はなかったのだ。ただひとつ、うまく話せないということをのぞいては。

先生は、簡単な言葉のキャッチボールで私と会話した。その結果、

「一対一の会話は、まあ成立するかな」

と、少し含みを持たせながらも言って、うなずいた。そして、最後に言ったのだ。

「明日からリハビリを始めましょう」

その言葉はふさぎこんだ私の心に、ほんのわずかな希望の光を射しこんだ。リハビリをすれば、今の状態から抜け出せるかもと期待したのだ。

この日の午後、事務所のマネージャーがお見舞いに来た。今日で何回目だろうか。うれしい反面、大きな石を胸の上にドカッと置かれたような息苦しさも覚える。マネージャーの気持ちが痛いほどわかっていたから。

いつ仕事復帰ができるのか。私が不本意ながら穴をあけてしまった番組側に、この状態を事務所としてどう説明したらよいものか、マネージャーは考えあぐねていたはずだ。 それがわかっていたから、いつも私は「心配かけてごめん。大丈夫よ」と平静を装い、あるときは「結構、話せるようになったの」と言い、その次には「字が読めるわよ」と、精いっぱいのアピールをした。

私はマネージャーに「大丈夫」と言い、マネージャーはテレビ局やラジオ局に「大丈夫」と言う。だけど、この二段重ねの「大丈夫」は、私自身をさらに追い詰めることになった。本当に大丈夫なのだろうか。いや、ぜんぜん大丈夫だとは思えない。仕事のことを考えると息ができないほど苦しくて、絶望的になる。先のことなんて、わからない。いつ治るかなんて、私も知らない。誰か教えて。″沼尾ひろ子〞は、本当にもう一度、マイクの前に座れるの?

あまりに苦しくて、この日の日記に《仕事はもう終わり》と二度も書いてしまった。もう仕事はしないと決めてしまったら、どんなにラクだろう。でも、そんな決心すら私にはできなかった。

〈続く〉

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mapを読み解く!

3カ所のおすすめポイントを通過してスタンプを押してもらう「おさんぽmap」を見ながら説明することを行いました。駅の何番出口から出て右に曲がるのか左に曲がるのかからスタートします。おすすめコースは赤い点線で記されていて、その点線をたどって目的地にたどり着けばOK。信号の名前、目印の建物、何本目の道路、橋の名前、首都高の下、など、さまざまなアイテムを右左間違うことなく、伝えてもらいました。少し難しいところもありましたが、今日参加したみなさんは、自分が歩いているようにmapをとらえ、ほとんどまちがうことなく説明できました。空間の認識力が保持されていることがわかりました。こういったデキる体験をたくさん積んでほしいと思います。できることから自信をつけ、そこに音声のマッチングがついてくれば、他者との正しい情報の共有が可能になります。このmap説明は好評だったので、また行うことにしました。
次回は9月12日です。

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「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」6 〜 仕事現場の状況は・・・

それまで私は仕事のことばかり考えていた。レギュラー番組を突然お休みして、多くの人に迷惑をかけているに違いない。早く戻らなければとあせっていた。

思いがけず緊急入院をしたあと、私の仕事の現場はどうなっていたのか。あとで、聞いたところによると・・・。

所属する事務所のマネージャーは、当初、病院の説明通りに「沼尾の入院は一週間」と番組制作側に伝えたという。それが、もう一週間、いや、まだはっきりしないと、どんどん入院期間が延びていき、復帰できる時期について病院に聞いても「まだわからない」という答え。

局側に、どう説明したらいいのか考えあぐねたらしい。病名は、最初に疑われた「脳炎」のまま。脳梗塞と診断が出ても、この病名は伏せられていた。脳梗塞とわかれば「どこかに障害が?」と尋ねられるに違いない。そのとき、どう答えるか。ナレーターにとって、言語中枢に障害があるということは致命傷に他ならない。やはり、脳梗塞とは言えなかったのだ。

局側にマネージャーは、笑顔で「検査の結果が出るまでもう少し待ってください。沼尾は大丈夫です!」と伝えた。そして、私が完治して復帰するまで代役を立てるという方針で話し合っていたらしい。つまり、沼尾ひろ子は大変な病気であるが復帰はする、という方向で。

しかし、私の入院期間はどんどん延びていく。局側が「一体どうなっているのだろう」「本当に復帰できるのか」と不安に思い、「復帰できるとしたら、いつ頃だ」と知りたがるのは当然のこと。マネージャーだって、できることなら復帰できる時期をしっかり伝えたかったはず。そうすることが私のナレーター生命を守ることになるし、沼尾ひろ子を守るという事務所のマネージャーとしての使命と感じていたのだ。でも、私自身もわからないのだから正確な情報を得られずはずもなく、マネージャーは復帰時期を明言できないもどかしさの中にいた。これが、周囲の状況だったようだ。

そんなわけもあって、仕事関係の方のお見舞いは基本的にお断りしていた。

17日には日記に《胸がドキドキする》と書いている。この頃、早朝の原因不明の動悸に悩まされていた。 朝まではほとんど眠れなかった。気がつくとカーテンの外が薄ぼんやりと明るくなり、私はベッドから起き上がる。カーテンを開けると、まだらネズミ色の空が広がっている。毎日同じ梅雨空だ。ああ、気が滅入る。朝のこの瞬間が一番やっかい。息ができないほど苦しい。得体の知れない不安で胸がドキドキする。窓の鍵を外し、一歩、空に踏み出したら苦しい現実から解放されるかもしれない。そのほうが、どんなにラクだろうと思う。

死の誘惑から私を救い出してくれたもの。それは、窓辺を埋めつくす花たちだった。私が病気で仕事を休んでいる、ということは、多くの人の耳に入っていたようだ。毎日のように友人や番組関係者からお花が届いた。水を吸い上げて生き生きと咲き誇る花々は、病室に活気と彩りを添えてくれる。植物は「生」そのものだった。そんな花たちから、私は少し元気を分けてもらっている気がする。窓辺の花たちは「私たちを乗り超えて、窓の外に足を踏み出してはダメよ」と、ささやいているようでもあった。

「今日もきれいに咲いてね」 声をかけながら花瓶の水を入れ替える。そして、ようやく私は、なんとか気力を奮い立たせ、今日という一日をスタートさせていた。

〈続く〉

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