涙をふいて・・・。

目に涙をためている。自分はダメなのだという。5年前に初めて私と会った時にはニコニコ笑っているだけで発話もなかった。教室に通うようになって最初の頃、朗読はたったひと言を言うのが精一杯。それからほとんど休まず通い続け、今ではだれよりも積極的に質問をするし、会話もおもしろいので場を和ませてくれる存在になった。インタビューではファーストクェッションから相手の答えを拾ってセカンドクエッションへとつなげ、会話を育てるまでに。この目覚ましい言語回復力はひとえに彼の努力のたまものだし、継続が物語っていると思うのです。本来持っている明るい性格も後押ししているに違いありません。コミュニケーションの喜びが積極性へとつながっているのでしょう。聞いて理解し発話する回復が際だっているのに対し、文字理解から発声する音読はなかなか思うような回復が見られず、その他が目覚ましいだけにダメな点が自分の中で突出してしまうのでしょうか。ひらがなも漢字も難しい、ぜんぜんダメだと下を向いてしまうのでした。音読はさまざまな失語症のリハビリにオールマイティに対応できます。読む。話す。聞く。それらすべての言語理解。漢字にはふりがなをふること。ひらがなにはかたまりを作ること。それから発声。この繰り返しで残韻させる。ほんとうに言語のリハビリは今日調子よくても翌日はあまりよろしくない、できたりできなかったりの繰り返しで、どうしてもできたことよりできなかったことに目が向いてしまいがちです。ひとりで行っているとなおのこと。だから教室では喜びを共有することを目的にしているのです。ひとりじゃない。一緒に、と。ところが、ひとと比べて落ち込んだり、ダメな自分の上塗りをしてしまったり、これではなんのための共有時間なのか。私も落ち込みました。笑顔を共有したいのに、喜びを体感してほしいのに、彼は涙をためているのです。彼の本当の苦しみをわかってあげられなかった。彼にとって音読が苦手なことはわかってる。それでも投げ出さないでほしいのです。がんばりすぎなくていいんです。弱音をはいてもいいんです。私も一緒に悩みますから涙を拭いて一緒に進んでいきましょう。

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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