失語症を学ぶー①失語症ってどんな障害?

「脳梗塞の後遺症で失語症だったんです」と言うと、たいていの方から「しゃべれなくて大変でしたね」という答えが返ってきます。

一般の方にとって失語症は「しゃべれなくなる病気」という認識しかないんだなあと改めて思います。決してまちがいではないのですが、運動機能の損傷というイメージが強いのでしょうね。確かに運動機能の低下も傷害を受けた神経回路によってはあるのですが、実際に失語症者を苦しめる症状はもっと複雑なものです。

また、「言葉を忘れる」というイメージを持つ方も多いようです。これはある意味誤解です。脳の中で言葉が消失したのかというとそうではありません。言葉を外(皮膚の外側)から脳の中に入れる、また脳から外へ出すことが困難なのです。つまり、神経回路のトラブル。損傷を受けた神経回路を迂回して新たな言葉のやりとりをする通路を設けることが言葉のリハビリテーションには重要です。

そもそも言葉とは何でしょう。わたしたち人間は息をし生存するだけで生きる価値を見い出すでしょうか。言い換えれば、人間はひとりで生きていけるのでしょうか。答えはノー。事象に名称をつけ言葉によって進化してきたのが人間です。生きている世界を意味のあるものにするために、人間が人間として存在するための根本が言葉そのものなのです。集団で生きていくためには言葉が絶対的に必要でした。言葉を通して意志の疎通をはかり、物事を決める。自分以外の人間を理解する。自分を理解してもらう。コミュニケーションの基本です。

失語症は、脳の言語機能の障害によって突然言葉を失うこと。つまり、コミュニケーションのツールを突然失くすこと。さっきまで当たり前だった世界が突然意味をなさなくなることとはどういうことでしょう。たとえて言うなら東西南北、天も地もわからない砂漠のど真ん中にぽつんとひとり立っている状態。寒い、暑いといった感覚や感情があったとしても、それを表現する術もないのです。もしそこに相棒がいて、あなたに「暑いね」と声をかけたとしても、それはただの音に過ぎない。

あんなに愛し合っている彼の言葉がわからない。一緒に映画を観てもスクリーンに映し出されているのはただの映像で意味をなさない。だから、おもしいのかおもしろくないのかすらわからない。感想を言う言葉が出てこない以前にまったく理解できないのです。

あまりにも失うものが大きいのが失語症です。言葉を聞いて理解する。文字を読んで理解する。思ったことを話す。文字を書いて表現する。「読む」「聞く」「話す」「書く」それらが障害を受ける失語症は、コミュニケーション断絶といった意味でとても残酷です。そこには心や感情があるからこそ、多くの失語症者は大きな絶望感を持ちます。さらに、先の見えないリハビリも失語症者を苦しめます。特に若い世代、働き世代の方には社会でのポジションを失う現実も見過ごせません。

今新たなリハビリ療法によって、確かな回復への光が見え始めてきました。決してあきらめないこと。決して、ひとりではないことを忘れないでください。

失語症とはー

臨床症状としては、「抹消の受容器官や表出器官の損傷や一般精神症状による言語障害からは区別され、病理解剖学的には大脳の一定領域(言語領野)の器官的病変によって生じる」

言語・心理学的には「言語象徴(口頭言語と書字言語)の表出と了解の障害」:大橋博司(「脳が言葉を取り戻す時」より)

 

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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