失語症のかたのための朗読会〜勇気の一歩

「すいません、少し迷ってしまって・・・」

傘を手に、息せき切って走ってきた女性。
開始時刻はすでに、15分が経過していた。

「だいじょうぶですよ。
それより、お名前から男性の方かと思っていました」

「いえ、そうなんです。息子なんです」

「??? 息子さんは?」

「それが、車に乗って待ってるって。今日は息子は無理ですから、わたしだけ参加させてください」

お母さんの話によるとー

息子さんは21歳。
中学2年の時、発症。
命はとりとめたものの、その時医師から告げられたのは、
ー 歩くことも、話すことも、理解することも、無理でしょう ー

こんな活発な明るい子が?
この子の未来はこれからなのに?

医師の言葉はどうしても信じられなかったという。

お母さんの半信半疑の思いに答えるかように、
息子さんもまた、必死にリハビリに打ち込んだ。

そして、
徐々に、手が動くようになった。
言葉を発することができるようになった。
学校に通うことができるようになった。

大学は建築科に進学した。

「ひとの何倍もかかって、勉強して、息子は本当にがんばったんです」

ところが、
ある日、ものすごい形相で帰ってきたという。

ー おれはもうダメだ。なにもわからない。死んだ方がいいんだ ー

「今まで見たこともない顔でした。それから、部屋に閉じこもり、なんで、オレを助けたんだ、あの時死ねばよかったんだって、暴言をはいたり、ぼ~っとしてたり、性格も変わってしまって・・・」

大学のセミナーでのディスカッションが引き金だったという。

言葉の応酬。意見のやりとり。
今まで、自分のペースで理解しやりとりしていた会話が、
ディスカッションではついていけない。

何を言っているのか理解できない。
スピードについていけず、打ちのめされた。

ー こんなオレになにができるんだ ー

ー オレはこれからどうやって生きていくんだ ー

お母さんは励ました。
励まし続けた。
でも、息子さんは荒れる一方。

「この会のことを知って、息子が連れて行ってくれって言ったんです。
わたしうれしくって、それで、今来る時も、今日はいい日にしようねって。
そうしたら、とたんに、息子が、やっぱり行かないって言い出して」

わたしはお母さんに言った。

「お母さん、これから少しきつい言い方をしますよ。
息子さんに、こうしようとか、こうすればいいんじゃない?とか 決して言わないでください。
どんな小さなことも自分の意志で決めさせる。その行動は自分で選択させるのです。

自分で立てた目標を見失って、息子さんもがいてるんです。
何がつらいって、どこに向かっていけばいいかわからない時が一番つらい。
これは、同じ思いを共有しているもの同士でないとわかりません。

それでも乗り越えなくちゃいけない。それも自分の力で。自分の意志で。
そんな生き方も、自分で決める。
そうじゃないと、できない言い訳をする人生になってしまいます。

息子さん、今必死ですよ。

お母さん、つらいかもしれないけど、息子さんを信じて見守っていてあげてください。

暴言を吐くのは、性格が変わったのではなく、お母さんにあまえているんですよ。
わたしぐらいの歳になると、気を使って親や家族に本音をぶつけることができなきなる。
お母さんを頼っているから、防御がきかなく思いをストレートにぶつけてしまうんですね。

お母さんはだいじょうぶですか?」

「わたしはだいじょうぶです。だって、一番つらいのは本人ですから」

「いいえ、お母さんも一緒です。たいへんですって、言っていいんですよ。
がまんしないでくださいね。約束してください」

今日、
息子さんには会えなかったけれど、
すぐそばまで来てくれた。
彼は彼の意志で。

その一歩を踏み出したことが、うれしい。

わたしは信じて待っている。
彼は、自分の人生を自分の意志で歩き出すことを。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

コメント

コメントする

目次
閉じる