朝は先生の回診がある。8時半ぐらいになると、何の前触れもなく 廊下のスライドドアが開いて、白衣の3人が「いかがですか?」と入ってくる。私は頑張って、目をパチッと大きく見開き、できるだけシャキッとして「あ・・・いい感じです」と答える。
しかし、次の言葉が出てこない。聞きたいこと、言いたいことは、山ほどある。「あの・・・・」と口を開いたときには、もう先生方は、ニコニコしながら手を振って行ってしまったあとだ。
17日。私の朝の日課に新しいメニューが加わった。リハビリ専門の先生の検診だ。私に言語以外の麻痺がないか、調べるためだった。車椅子に腰掛けたまま、先生と向き合う。そして、指示された通りに私が手を広げたり、先生が顔の前に立てた人差し指 をゆっくり動かし、それを私が目で追ったり。とてもシンプルな検査ばかりが行われた。どれも私にとって簡単なことだった。その結果、手足の麻痺はなしと診断された。
手足の麻痺は、私自身もまったく感じたことがなかった。お箸を持って普通にご飯を食べることはできたし、文章はチンプンカンプンだけど、以前と変わらぬ形の文字を書くこともできた。日常生活に大きな不都合はなかったのだ。ただひとつ、うまく話せないということをのぞいては。
先生は、簡単な言葉のキャッチボールで私と会話した。その結果、
「一対一の会話は、まあ成立するかな」
と、少し含みを持たせながらも言って、うなずいた。そして、最後に言ったのだ。
「明日からリハビリを始めましょう」
その言葉はふさぎこんだ私の心に、ほんのわずかな希望の光を射しこんだ。リハビリをすれば、今の状態から抜け出せるかもと期待したのだ。
この日の午後、事務所のマネージャーがお見舞いに来た。今日で何回目だろうか。うれしい反面、大きな石を胸の上にドカッと置かれたような息苦しさも覚える。マネージャーの気持ちが痛いほどわかっていたから。
いつ仕事復帰ができるのか。私が不本意ながら穴をあけてしまった番組側に、この状態を事務所としてどう説明したらよいものか、マネージャーは考えあぐねていたはずだ。 それがわかっていたから、いつも私は「心配かけてごめん。大丈夫よ」と平静を装い、あるときは「結構、話せるようになったの」と言い、その次には「字が読めるわよ」と、精いっぱいのアピールをした。
私はマネージャーに「大丈夫」と言い、マネージャーはテレビ局やラジオ局に「大丈夫」と言う。だけど、この二段重ねの「大丈夫」は、私自身をさらに追い詰めることになった。本当に大丈夫なのだろうか。いや、ぜんぜん大丈夫だとは思えない。仕事のことを考えると息ができないほど苦しくて、絶望的になる。先のことなんて、わからない。いつ治るかなんて、私も知らない。誰か教えて。″沼尾ひろ子〞は、本当にもう一度、マイクの前に座れるの?
あまりに苦しくて、この日の日記に《仕事はもう終わり》と二度も書いてしまった。もう仕事はしないと決めてしまったら、どんなにラクだろう。でも、そんな決心すら私にはできなかった。
〈続く〉
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