「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」6 〜 仕事現場の状況は・・・

それまで私は仕事のことばかり考えていた。レギュラー番組を突然お休みして、多くの人に迷惑をかけているに違いない。早く戻らなければとあせっていた。

思いがけず緊急入院をしたあと、私の仕事の現場はどうなっていたのか。あとで、聞いたところによると・・・。

所属する事務所のマネージャーは、当初、病院の説明通りに「沼尾の入院は一週間」と番組制作側に伝えたという。それが、もう一週間、いや、まだはっきりしないと、どんどん入院期間が延びていき、復帰できる時期について病院に聞いても「まだわからない」という答え。

局側に、どう説明したらいいのか考えあぐねたらしい。病名は、最初に疑われた「脳炎」のまま。脳梗塞と診断が出ても、この病名は伏せられていた。脳梗塞とわかれば「どこかに障害が?」と尋ねられるに違いない。そのとき、どう答えるか。ナレーターにとって、言語中枢に障害があるということは致命傷に他ならない。やはり、脳梗塞とは言えなかったのだ。

局側にマネージャーは、笑顔で「検査の結果が出るまでもう少し待ってください。沼尾は大丈夫です!」と伝えた。そして、私が完治して復帰するまで代役を立てるという方針で話し合っていたらしい。つまり、沼尾ひろ子は大変な病気であるが復帰はする、という方向で。

しかし、私の入院期間はどんどん延びていく。局側が「一体どうなっているのだろう」「本当に復帰できるのか」と不安に思い、「復帰できるとしたら、いつ頃だ」と知りたがるのは当然のこと。マネージャーだって、できることなら復帰できる時期をしっかり伝えたかったはず。そうすることが私のナレーター生命を守ることになるし、沼尾ひろ子を守るという事務所のマネージャーとしての使命と感じていたのだ。でも、私自身もわからないのだから正確な情報を得られずはずもなく、マネージャーは復帰時期を明言できないもどかしさの中にいた。これが、周囲の状況だったようだ。

そんなわけもあって、仕事関係の方のお見舞いは基本的にお断りしていた。

17日には日記に《胸がドキドキする》と書いている。この頃、早朝の原因不明の動悸に悩まされていた。 朝まではほとんど眠れなかった。気がつくとカーテンの外が薄ぼんやりと明るくなり、私はベッドから起き上がる。カーテンを開けると、まだらネズミ色の空が広がっている。毎日同じ梅雨空だ。ああ、気が滅入る。朝のこの瞬間が一番やっかい。息ができないほど苦しい。得体の知れない不安で胸がドキドキする。窓の鍵を外し、一歩、空に踏み出したら苦しい現実から解放されるかもしれない。そのほうが、どんなにラクだろうと思う。

死の誘惑から私を救い出してくれたもの。それは、窓辺を埋めつくす花たちだった。私が病気で仕事を休んでいる、ということは、多くの人の耳に入っていたようだ。毎日のように友人や番組関係者からお花が届いた。水を吸い上げて生き生きと咲き誇る花々は、病室に活気と彩りを添えてくれる。植物は「生」そのものだった。そんな花たちから、私は少し元気を分けてもらっている気がする。窓辺の花たちは「私たちを乗り超えて、窓の外に足を踏み出してはダメよ」と、ささやいているようでもあった。

「今日もきれいに咲いてね」 声をかけながら花瓶の水を入れ替える。そして、ようやく私は、なんとか気力を奮い立たせ、今日という一日をスタートさせていた。

〈続く〉

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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