「 脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで」1

プロローグ

某テレビ局。

「おはようございます!」

AD〈アシスタント・ディレクター〉のTちゃんは、いつものように笑顔で待っていた。アナウンスブースの卓の上には本日オンエアのVTR原稿が順序よく並べられ、鉛筆もピンっと削られている。

「今日は、オリンピック一色です!」

「そうだと思ってた(笑)」

「原稿まだそろってませんが、VTRできてるものからよろしくお願いします」

「了解」

オープニングの原稿に目を通していると、いきなりアナウンスブースのドアが開いた。

「ごめん! ナレーション、生でお願い!」

入ってきたのはwディレクター。

「原稿もVも上がってるんだけど、ナレーションを入れる時間がない」

「何分出し?」

「11時10分!」

「おお! たしかに厳しいね」

「わるいっ、よろしくお願いします!」

原稿を持ってブースを飛び出した。生でナレーションを読むブースがある副調整室はまさにテレビの画面に映るスタジオと直結している。廊下を出て階段を急ぎ足でおりる。エレベーターを待っている時間が惜しいのと、万が一エレベーターが止まってしまったら間に合わない。早足で歩きながら、wディレクターに質問する。

「Vの前はCM? それともスタジオキュー振り?」

「たぶん、CMのはず」

「V終わりは?」

「ロール2に乗り換えかな」

「了解。それだけわかっていれば大丈夫」

副調整室に入ると、モニターを見ながら指示を出していたSプロデューサーがびっくりした顔で、

「おっ、生ナレ? よろしく!」

私はスタッフのみなさんに「よろしくお願いします!」と声をかけ、アナウンス・ブースに入った。

そこへ、ADのTちゃん。

「V出し、11時3分に早まりました!」

「ってことは、このCMあけスタジオからの振りね?」

「はいっ!」

私はヘッドホンをつけた。

「スタジオまで30秒前」

タイムキーパーのカウントダウンが響く。

静かに集中力を高める。

「VTR入ります!」

 

ヘッドホンから聞こえるタイムキーパーのカウントとVTRの映像を見ながら、原稿を正確に読んでいく。

 

「V終わりまで5秒前、4、3、2、1」

 

VTR終了。

「お疲れさま!

さすがだね!映像も原稿も初見なのに、完璧」

「プロですから(笑)」

Vサインをしながら、次のナレーション録りのため早足で録音スタジオのあるフロアに戻る。

こんな緊張感あふれる現場が私の日常だった。

 

2006年6月。

この頃私は、月曜から金曜まで毎日放送される情報生番組のナレーションと、ラジオ番組の中継など計4本のレギュラー番組とイレギュラーの特番を担当していた。時間は不規則。けれど責任のある仕事に生きがいを感じ、なんと言っても夢が叶って就いた仕事だから生放送の緊張感はあったけれどハリのある毎日だった。

この週末は久しぶりのオフで実家に帰るため車を運転していた。

異変は突然起きた。車は東北道蓮田パーキングを過ぎたあたり。ハンドルを握り都心を出て40分、急に左目の奥のほうがズンと重くなった。一週間の疲れが出たのだろうか? 頭がボーッとする。次の羽生パーキングエリアでコーヒーを買った。目的地までは、まだ60㎞ほどある。シャキッとしなきゃ。5分ほど休憩して出発する。しかし、走り始めて間もなく体が鎧を着ているように重くて重くて我慢できないほどになってきた。どうしよう。何なの、この全身にまとわりつく疲労感は。

一番左の車線を時速80㎞でゆっくり走りながら、なんとか都賀西方パーキングまでたどり着いた。もう限界だ。駐車スペースに車を停め、シートを倒すと目を閉じる。すると思いがけずあっという間に深い眠りに落ちてしまった。

目を覚ましたのは約30分後。まだ頭は重たいけれど、だいぶスッキリした。再びハンドルを握り実家へ向かった。

得体の知れない頭の重みは、この後はっきり頭痛となって姿を現した。私は普段めったにお世話になることのないレトロなパッケージの家庭用の常備薬、置き薬を服用することにした。これでよし。しばらく横になっていれば治るだろう。しかし、いつまでたっても、頭はグワ〜ンと重く、頭痛はなくならなかった。

そして、この日から私の体調は坂を転げ落ちるように悪くなっていった。

 

月曜日朝9時、できるだけ元気な声で挨拶しながら、テレビ局内にあるスタジオに入った。いつも通り、ニュースや企画コーナーVTRが出来上がった順にナレーションを録っていく。この毎日の番組はOAの時間に間に合わなくて生で原稿を読むことも度々あった。初見で映像と原稿を観るので相当神経を使ったが、絶対にとちらず、尺通りに読むことにプロとして自信を持ってのぞんでいた。

それにしても、おかしい。3日前から始まった異変はまだ続いていた。一週間の始まりだというのに、頭は石が入ってるように重たいし、体は鉛でできてるみたいだ。

 

翌日。

何なんだろう、この頭。テーブルに左ひじをついて、手のひらで頭を支えたときに、手で覆われる耳の上のあたり。そこを丸ごと切り取ってほしい。女性スタッフが「私の持ってるのでよければ」と頭痛薬を2錠くれた。

不思議なもので、マイクに向かってナレーションを録っている最中は、痛みを忘れる。でも、待ち時間になると「ふっふっふ、忘れちゃったの? ちゃ〜んとここにいるよ」と、まるで隠れていた悪魔が顔を覗かせるように、痛みが現れた。しつこいなぁ、早くどっかに消えちゃってよ! そう心の中で叫ぶけれど、よほど居心地がいいのか、悪魔はそれからあともずっと私の頭の中に居座り続けた。

そしてさらに翌日。今日も頭の中で何かが容赦なく暴れまわっている。あまりに痛くて、スタジオに入ってからも、眉間にシワが寄りっぱなし。もはや背筋を伸ばしていることすらままならない。

ナレーションを2本ほど録ったあとの空き時間、雨がしとしと降る中、テレビ局から200mほど離れた薬局までヨタヨタと歩いていった。そして、「このお店で一番強い頭痛薬下さい」とお願いし、その場で水と一緒に流し込んだ。しかし、頭痛は一向に治らなかった。

その夜、痛みはさらに強くなっていた。気持ちが悪くなり、何度か洗面所に駆け込む。頭痛薬は何錠飲んでも効かなかった。頭をガンガンと絶え間なくハンマーが叩きつけた。思わず声が出る。

「助けてよ」

涙がこぼれる。眠ってしまえば治るかとも思ったが、痛みと吐き気で睡魔もどこかに吹っ飛んでしまった。もう、歩いてトイレにも行けない。仕方なく、赤ん坊のように這って用足しに行った。

翌朝、ついに頭痛外来の病院に行くことにした。市販の頭痛薬では治らないのだから、専門医に頭痛薬を処方してもらおうと思ったのだ。ノロノロと外出着に着替えたが、メイクをする気力はなかった。めざす病院までは、最寄り駅で普通に歩いて10分。そして、朝のラッシュの中、電車を渋谷で乗り換えて、さらに新宿駅から分は歩かなくてはならない。今の私には、とても無理だ。近くの幹線道路に出て、タクシーを拾った。

クリニックに到着したのは午前8時20分。待合室には誰もいない。うまくいけば、通常通りの9時にスタジオ入りできるかもしれない。しかし掲示板を見ると、診療時間は9時からと書いてあった。今日の番組のスタッフ、そして私が所属する事務所のマネージャーに《病院に寄るので遅れます》とメール。そして、待合室の長椅子の背にぐったりともたれかかった。

診察室に入るとすぐに

「まずCTを撮りましょう」

と先生は言った。CT?  それより早く薬を処方してくれないだろうか。 早く、早く、と心の中でブツブツ言いながらしかたなくCT室に向かった。

「すこし気になるものが写ってるんですよ。このCTフィルムを持って脳神経外科にすぐに行ってください。そこでMRIを撮ってここに戻ってきてください」

先生は、私を見ながら一気に早口でそう言った。

うそっ、何か写ってたの?気になるものって? MRI? そして、戻ってこい?すぐにここで治らないのだろうか?やっとの思いで、ここまで来たのに、さらに電車に乗って足を延ばし、違う病院で検査してもらって、また戻ってくるの?

言われたことを、ひとつひとつ反芻しているうちに涙が出そうになった。

「わかりました」

口数の多さでは、人に負けない自信があったのに、今日はそれも仕方ないだろう。この時点で私は、もう疲れ切っていたのだから。

とにかく先生の指示に従うしかない。テレビ局に向かえないことだけは明白だった。事務所のマネージャーに今度は電話を入れて状況を伝える。そして、ふたたびタクシーを拾って、座席に倒れ込んだ。

 

「お客さん、着きましたよ。救急の入り口に着けましたからね。お大事にね」

入り口の自動ドアをくぐる。まさか、このあと1ヶ月近く、この建物から一歩も外に出られない、という運命が私を待ち受けていることなどこのときの私は、知る由もなかった。

建物に入ってすぐに、「受診案内」というプレートを掲げたカウンターが目に飛び込んできた。 ボーッとした顔で、おそらくここで聞けばいいはず、と判断し、この病院に来た理由を窓口の女性に告げる。脳神経外科の場所を教えられ、おぼつかない足どりで病院の奥へと向かう。ここだ。すると、すぐに名前を呼ばれ診療室に招き入れられた。他に診療を待ってる患者さんは少ないようだけど、それにしても早いな。ぼんやり、そんなことを思いながら、診療室に入っていく。すると、メガネをかけた、白髪まじりながら若々しいひとりの医師が、私のあのCTフィルムを照明に透かして見つめていた。

「まずね、今からMRIを撮ってきてもらいますね」

「あっ、はい」

返事をして立ち上がろうとすると、医師は優しい笑顔で言った。

「車椅子で看護師に連れていってもらいましょうね」

く、車椅子?私は一気に正真正銘の病人になってしまったのか?!自分ひとりでは歩けないほど悪く見えたのか? あとで知った。脳神経外科の患者はいつ倒れるかわからない。大事をとって車椅子に患者を乗せることは、決して珍しいことではないと。うながされるまま、車椅子に腰を下ろす。うん、これはラクだ。

MRI室は地下2階にあった。ひんやりとした無機質な部屋の真ん中には大きなカプセルのようなものがあった、ような気がする。実は、このときのことはあまり覚えていない。とにかく担架ほどの細長いベッドに仰向けになると、頭をしっかり固定された。

「MRIは初めてですか?」

「はい、まったく初めてです」

そんな会話を交わしたあと、白い服を着た技師の方は(男性だったか女性だったか、それさえも覚えていない)

「20分ほどですみますからね。少し音がうるさいのでヘッドホンをつけましょう。気分が悪くなったら、このボタンを押してくださいね」

と言って手にスイッチを握らせてくれた。

ベッドはゆっくりとカプセルの中に吸い込まれた。狭い。閉所恐怖症の人には耐えられないかも。もし私が人間ドックか何かでお世話になったなら、胸がドキンドキンして、胎児のように体を丸めたくなっただろう。仰向けはとても無防備な体勢だ。でも、今回はぐったりしていて、とにかく横になれるだけでうれしかった。

目をつぶっていると、耳元で工事中のような音が響き始めた。カーンカーンカーンコーンコーン、ボコッボコッ。そんな音が絶え間なく続く。それでも、少しのあいだ、体を休めることができた。

「お疲れさま」

という技師の方の言葉でベッドを下りると、もう看護師さんが車椅子とともに迎えに来ていた。ふたたび車椅子で脳神経外科外来に戻る。 すると、先ほどの医師は思いもよらない言葉を口にした。

「今日から入院できますか?」

MRIの画像を見ていた医師は、振り返ると、私にそう尋ねた。

「はっ?入院、ですか?」

あまりに思いがけなかったため、一瞬他人事のように思えた。 なんとなく私が予想していたのは、「ストレスからきた頭痛ですね」とか、「目の疲れからきてるのかもしれませんね」とか、「肩こりはありますか?           運動不足ですね」とか、まあ、そう いったたぐいの、「ああ、そういえば」と思いあたるような、または「そうそう、そうなんです」 と相づちを打ちたくなるような診断結果だった。入院なんて予想外。

そもそも、大病を経験したことのない私の辞書には、病気で「入院」なんて文字はない。

「入院って、今からですか? 私、これから仕事に行かなくちゃならないし、そうじゃなくても遅刻なのに、どうしよう」

午前中のテレビの生放送の後、午後からはラジオの生放送がある。17年間続けてきた、このラジオ番組への出演は私のライフワークともいえる大事な仕事。

グワングワン痛む頭の左側を押さえながら、私は必死で訴えた。

「あの、私が行かないと、スタッフに迷惑かけちゃいます。午後はラジオの生放送があるし。先生、今すぐ治る薬ないんですか?」

しかし、先生の表情は変わらない。ああ、ダメなんだ。どんなにお願いしても、入院という宣告からは逃れられないんだ。ガッカリすると同時に、どこかでホッとする気持ちもあった。入院すれば、このグワングワン地獄から解放されるに違いない。助かったーっ。それにしても、原因は何なんだろう。

「まだ、はっきりしたことは言えません。とにかく、一週間入院してもらって、詳しく検査しましょう。くも膜下出血の初期の疑いもありますし」

「くもまっか」って、あのくも膜下?    詳しく知ってるわけじゃないけど、確か、倒れてそのまま亡くなる人もいるという、くも膜下?? 恐ろしい病名をさらっと言われ、私は動揺することすら忘れてしまった。しばらくポカ〜ンとしていたが、まあ、ここは脳神経外科。私たちに すればドキッとするようないろんな病名が、スタッフのあいだでは日常茶飯事に交わされる場所なのだろう。

医師が「痛みの原因かも」と指さしたMRI画像の一部。そこには白い小さな豆粒が写っていた。右側の後頭部、ちょうど首筋の延長線と右の耳の延長線が交わったあたりだという。こんなキュートな白豆クンが悪さをしているのか? う〜ん、どうも実感がわかない。それよりも、「これが私の頭蓋骨か〜。初めて目にするなー」とまじまじ見つめてしまった。頭の中が、こうオープンになってしまうと、なぜか、日記でも読まれたように恥ずかしい。そして、ちょっ と疑問に思った。豆粒クンがあるのは右側の後頭部。私が痛いのは逆側なんだけどな。

病室の準備ができるまで、外来診療室の隣の小部屋で横になることに。座っているより少しはラクだ。何もない味気ない天井を見つめながら、考えた。あ〜あ、ここで一週間休んだら、今年の夏休みはナシになっちゃうな。番組スタッフや所属事務所にメールしなきゃ。きっと心配してる。

さっきまで番組のことが気がかりでならなかったけれど、こうなったら、もう観念するしかない。そんなことをあれやこれや考えていると、看護師さんがやって来た。部屋の説明をしに来てくれたのだ。なんでも、この病院は、6人部屋が無料で、今、空いてる2人部屋が1日1万2000円、個室は2万2000円だという。「どうなさいますか?」と聞かれ、悩んだ。う〜ん、どうしよう。こんなに頭が痛いのに、私が決めなくちゃならないの?(部屋はあとから変更してもかまわないと後日、知った) どうしようかな。どこでもいいから、早く落ち着きたい。1泊2万2000円は高い。でも、一週間だけだし。

「個室をお願いします」

このときは突然のこの夏休みが一週間で終わらないことなど、思いもしなかったのである。 頭のグワングワンした痛みと吐き気はひどくなるばかりだった。少し涙目になっている私のところに、看護師さんが、お弁当箱ぐらいのトレーを持ってきてくれた。

「気持ちが悪かったら、我慢しないで、ここに吐いてくださいね。つらいでしょう。でも、もう大丈夫ですからね」

優しい言葉に、本当に涙が出そうになった。こうして私はこの病院で長い夏休みを送ることになったので ある。そして、この後生死の境をさまようことになろうとは、想像もしていなかった。〈続く〉

 

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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