「脳梗塞・失語症から言葉を取り戻すまで15〜声に出して読むことは生きている証」

漢字にふりがなを振って音読する練習は、その後もずっと続けていました。

「これで漢字につまずかない」と喜ぶ時もあるのですが、多くはぎこちなさがどうしても残り、以前のようにスラスラとは読めませんでした。

言葉の意味を理解しながら読めば正しいアクセントになるはずだし、そうすればスラスラを読めるかもしれない。私は、今まで無意識に行ってきた「言葉を発する」作業を、意識的に文字と意味と音声をつなぎ合わせようとしました。それには、長年仕事で培ってきたスキルが役立ったように思います。

〈青井さんは青いスキーが好きだ〉「青井さん」のあおいは平板に、「青いスキー」のあおいは、「お」にアクセント。自分なりに印をつけて、何度もトライ。

さらに、母音の口の形を意識して発音しました。「あおい、青井、青い」次は子音の舌の位置も確認。そして、意味をしっかり理解しながら、今度は話すスピードで読んでみました。

でも、変換が遅れて不自然な間があいてしまうのです。「青い」のアクセントも平板でした。

あー、できない。

学生時代は、四時間かけて英単語を覚えれば、それは試験の点数に確実に反映されました。でも、リハビリは違って、すぐに結果が出るわけではありませんでした。

はたして今やっていることに意味はあるのかどうかわからなくなり、やったー! できるようになった! と大喜びする達成感は全くありませんでした。それどころか、やっぱりできない、ダメだと再認識することの方が多かったのです。

「どうしてできないんだろう」。

そんな時、私は枕に顔をうずめて、しばらくじっと動かず、お地蔵さん状態なのでした。

このまま本当にお地蔵さんになってしまいたかった。でも、そんなことはもちろん一〇〇%無理で、それに比べれば、スムーズな音読をめざす方が、まだ確率は高いと思い返しました。読み続けるしかない! と。

大きく深呼吸して、「青井さんは青いスキーが好きだ」。そのまま、プリントの文章を最後まで読んでみました。

どんなにえこひいきしてくれる先生でも赤点確実の結果でしたが、一度読み始めたら最後まで読み切る。そう決めて繰り返しました。

「濁点が抜けちゃいましたね」

それは、前日、言語聴覚士の先生に「ふりがな、振ってきてくださいね」と渡されたプリントでした。

<授業は十時からなので十分に準備ができます。>

<授じゅきょう業は十じゅう時じからなので十じゅう分ふんに準じゅん備ひができます

あっ、本当だ! この他にも数ヵ所、濁点の脱落した箇所がありました。読みだけでなく、書く方もまだあやふやだったのです。

平静さを装いながらも、指摘されるまで全く気づかなかったことに軽くショックを受けました。少し自信がついたかと思うと、意地の悪い神様がどこからともなく現れて、「そんなに甘くないよ」と笑うのでした。

ふりがなつきの漢字の読みがうまく行かずガッカリし、漢字の濁点の脱落にまた落ち込む。それでも、気を取り直して、またふりがなを振り、声に出して読むことをやめなかったのは、それをやることが生きている証だったからです。

ここで投げ出して何もしなかったら、私はただ息をしているだけで、いつ何時、死の誘惑に負けてしまうかもしれないからでした。自分で自分をコントロールできない恐ろしさに比べたら、できの悪い生徒の烙印の方がまだましでした。

そんな私に、先生は、「こんなのも用意してみました。沼尾さんのためになるかなあ、と思って」と、四枚の新しいプリントをくれました。

それは手書きの早口言葉でした。漢字には、すべてふりがなが振ってありました。

〈・青あおは藍あいよりいでて藍あいより青あおし・歌うた唄うたいが来きて歌うた唄うたえというが、歌うた唄うたいぐらい歌うた唄うたえれば歌うた唄うたうが、歌うた唄うたいぐらい歌うた唄うたえぬから、歌うた唄うたわぬ・瓜うり売うりが瓜うり売うりにきて瓜うり売うり残のこし売うり売うり帰かえる瓜うり売うりの声こえ・久く留る米めの潜くぐり戸どは栗くりの木きの潜くぐり戸ど、潜くぐりつけりゃ潜くぐりいい潜くぐり戸どだが潜くぐりつけなけりゃ潜くぐりにくい栗くりの木きの潜くぐり戸ど〉

これ、見覚えが……。二〇代の頃、アナウンサー研修で毎日、毎日、鏡の前で口の形を確認しながら発声練習した滑舌のための早口言葉でした。

当時私は、仕事に行く前に、この発声練習を一年間、毎日欠かさなかったのです。

「青は藍よりいでて藍より青し」最初の一文を口にすると、後は次から次に言葉がわき出てきました。全部、そらで言えました。早口にはほど遠いし、滑舌もまだまだ曖昧でしたが、初めて自信を持って最後まで読み切ることができました。

「これ、新人の頃、毎日、練習をしていたんです!」

私は、その場で立ち上がって踊りだしたいほど嬉しい気持ちを懸命に伝えました。

「そうですか。よかったですね。お役に立ちましたか」

先生も嬉しそうでした。

この四枚のプリントは私の心の支えとなりました。病室ではいつも枕元に置いておきました。ここは病院なので、新人の頃のようにお腹から声を出すわけには行きませんでしたが、毎日、背筋を伸ばしてベッドの横に立って、音読しました。

<続く>

 

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