何年かかってもいいじゃない

私はぐるぐると渦巻く葛藤の中にいました。テレビの現場に戻りたいのか、戻りたくないのか、まず最初のクエスチョンで答えが出ないのです。わからない。

私の請け負っていた仕事は生放送の現場で臨機応変の対応ができるナレーション、リポートでした。たとえ日常会話が支障なくできるようになったとしても、さらに高度なプロとしてのスキルがなくてはとても難しいことでした。瞬時に文字と画像を認識し声にし尚かつ意味を理解して情報を的確に伝える。言葉のプロとしての自信と誇りを持って仕事に携わってきたのです。戻りたいと思ってもそれは無理と心にブレーキがかかりました。戻ることを考えれば考えるほど苦しいのです。いつ戻れるかなんてわからない。戻れる可能性は限りなく不可能に近い。戻る場所はもうないかもしれない。ならば現場復帰はしないと決めてしまえば楽になるかと思えば、それもまた苦しい。

どうしてこんなに苦しいのか。私はあのテレビラジオの生の現場が大好きだったのです。大好きなものをそう簡単にあきらめることはできません。でも、できない自分というまぎれもない存在がそこにある。本当に苦しい毎日でした。夢だったらとどれだけ願ったかしれません。

どうしたいのか、その目標さえ定まればそこに向かって少しづつ歩き始めることができるのですが、どうやって生きていけばいいか、どこに向かって進めばいいのかわからず、私はとうとう途中でリハビリを投げ出しました。こんなことやっても意味がない。なぜなら私は存在価値がないのだから。

そんな私にある時家族は言いました。

「本当にやりたいことは何なの?」

それがわからないからこんなに苦しいのになぜ聞くの、と私は泣きながら尋ねました。

「本当はわかっているはずだよ」

泣きじゃくる私にたたみかけるように何度も何度も、最後には声を荒げて言いました。「本当は何がやりたいのか言いなさい!」

私の口から振り絞るように出た言葉は「ナレーションがしたい」でした。どうしてこんな言葉が出たのか、今でも不思議なのです。ずっと蓋をしてきた私の本心。逃げ場がないところまで追い詰められて観念する犯人のようでした。

「もう僕にも自分の心にも嘘をついちゃダメだよ」

「何年かかってもいいからやりたいことをやりなさい。あなたの人生なんだから」

家族はわかっていたのです。私が本当はどうしたいのかを。そしてそれを自分の口から言わせたのでした。

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この記事を書いた人

ナレーター/朗読家/司会/声とことばのトレーナー

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